物の「いのち」を生かす

近年、世界でも注目されるようになった「もったいない」という言葉。古来、日本の先人たちは、どのような思いを込めてこの言葉を使ってきたのでしょうか。今回は、私たちの暮らしを支えているさまざまな「物」との関わり方について考えてみましょう。

■深刻な「食品ロス」

本来は食べられる物なのに廃棄されている、いわゆる「食品ロス」。日本では年間500万トンから800万トンにも上り、平成25年度推計(農林水産省)で約632万トンとされます。

これは、飢餓に苦しむ人たちに向けた世界全体の食料援助量の約2倍に相当します。また、日本の食料自給率は主要先進国の中でも最低水準であり、約6割を輸入に頼っていることを考えても、国内で多くの食品ロスが出ている現状は、矛盾した話です。

食品ロスには、製造段階で生じた規格外品や販売の過程での返品・売れ残り、外食産業における食べ残しなどの事業系廃棄物も含まれていますが、その半分近くは家庭から出るものだということです。

特売の日に買いだめをしたものの、手を付ける前に期限切れとなってしまった食品。調理の際に厚くむきすぎた野菜の皮。中途半端に残ってしまった食材や、つくりすぎて食べ残した料理……。日常を振り返って、何か思い当たる点はないでしょうか。そんなとき、思い起こしたいのが日本古来の「もったいない」という精神です。

■世界が注目する「MOTTAINAI」

そもそも「もったいない(勿体無い)」とはどのような言葉でしょうか。

『広辞苑』(岩波書店)によると「物の本体を失する意」とされ、「神仏や貴人などに対して不都合である」「畏れ多く、ありがたい」といった意味で使われてきた言葉です。今日では、一般的に「その物の値打ちが生かされず、無駄になることを惜しむ気持ち」を表す言葉として使われることが多いでしょう。

この「もったいない」という日本語に注目したのが、ケニア出身の環境保護活動家、ワンガリ・マータイさん(1940~2011、ノーベル平和賞受賞者)です。

来日時にこの言葉と出会って感銘を受けたマータイさんは、地球環境を守るため、「MOTTAINAI」を世界共通の言葉として広めることを提唱しました。リデュース(ゴミの発生抑制)、リユース(再利用)、リサイクル(再生利用)という、環境保護のための「3R」を一語で表せるだけでなく、物に対するリスペクト(尊敬)の気持ちまで含んだ言葉は、ほかの言語には見当たらないようです。

私たちが「もったいない」という言葉を使うとき、そこには“せっかくのおいしい食べ物が”“貴重な資源、まだ活用できるのに”というように、物の「いのち」を惜しみ、大切にしたいと思う気持ちが込められています。これは物質的に豊かになった現代社会においても、もう一度見直したい「日本人の美しい心」といえるでしょう。

■物に宿る「いのち」

日本人は古来、すべての物を「いのちある存在」として尊重する心を受け継いできました。そのことを象徴するのが、「針供養」のように役目を果たした道具を供養する習慣です。

「針供養」とは、12月8日または2月8日に縫い針を休ませ、古い針や折れた針を集めて供養する行事です。この日は針を使う仕事を休んで、古い針を豆腐やコンニャクに刺し、神社に納めたりします。

ほかにも、先人たちは古くなった道具を供養するための「筆塚」「包丁塚」なども設けてきました。自分の生活を支えてきてくれた物への感謝の気持ちを忘れることなく、どうしても廃棄せざるをえないときはその物の「いのち」を惜しみながら供養するということを通じて、「物を大切にする態度」を受け継いできたのです。

■「恩恵」を感じる心を大切に

私たちが口にする食べ物、あるいは日常生活において使う物は、元をたどればすべては自然から与えられたものです。つまり、私たちはさまざまな物質を通じて、自然の恩恵を受けているのです。「もったいない」という言葉にも、自然の恵みに感謝して、与えられた物の「いのち」を大切に使わせていただくという、謙虚な気持ちが込められているといえるでしょう。

また、自然から与えられた物質には、「物づくり」に携わる人たちの手を経て、新しい「いのち」が吹き込まれます。私たちの身の回りにある物の背景には、必ず時間と手間をかけてその物をつくってくれた「誰か」の存在があります。物を大切にすることは、「つくった人や、その物を大切に受け継いで使い続けてきた人たちの思い」を尊重することにもつながるのです。

反対に、物を粗末に扱うことは、自然の恵みや、その物が自分の手元に届くまでに関わった人たちの心をないがしろにすることでもあります。物の背後にあるさまざまな恩恵に感謝し、物の「いのち」を生かしきることは日々それらの恩恵を受けている者としての大切な心がけではないでしょうか。

(『ニューモラル』568号より)