自分に向けられた「思い」

家族が出かけるのを見送りながら「気をつけて行ってらっしゃい」と、道中の安全を祈ること。オリンピックなどの国際的なスポーツ大会で自国の選手を応援し、その勝利を願うこと……。日々の生活の中では、他の人に対して「思い」を向けるということを、さまざまな形で自然に行っていることでしょう。もしかしたら今、この瞬間にも、自分自身に対して「思い」を向けてくれている誰かがいるのかもしれません。

■家族みんなが祈り続けていた?

中学3年生のAさんは高校受験を控え、ここしばらくは受験勉強に専念する毎日を送ってきました。

そして迎えた受験本番。結果は、みごと合格です。結果を報告すると、お父さんもお母さんも大喜びです。小学生の弟や、離れて暮らす祖父母も皆、祝福してくれました。

そんな中で、Aさんの心に残ったのは、おばあさんの言葉です。

「Aちゃんは頑張ったのね。それならお父さんやお母さん、それと弟のK君にも、いっぱい感謝しなければいけないわね」

その言葉を聞いたとき、Aさんは“えっ?”と思いました。おばあさんは、こう続けます。

「Aちゃんが頑張っていたことは、お父さんやお母さんからも聞いていたわ。でも、家族のみんなもAちゃんの受験勉強を支えてきたものね。きっとK君も、お姉ちゃんの分までおうちの手伝いをしていたと思うよ。Aちゃんの努力が実を結ぶように、家族みんながずっと祈り続けていたんだね」

それまで“志望校に合格する”という目標だけに目を向けていたAさんは、自分のことに精いっぱいで、受験勉強を支えてくれた家族の思いなんて、考えてもみなかったのです。

私たちは、身近な人に思いを向けたり、その幸運を願ったりする心を、日常的にはたらかせています。例えば、家族への愛情を込めて料理をしたり、病気やけがの回復を祈って千羽鶴を折ったりもするでしょう。これらはほんの一例ですが、私たちの周囲は、常に「誰かのことを思う」という、多くの人の心づかいに満ちているのです。

言うまでもなく、人は一人で生きているのではありません。私たちの日常は、家族をはじめ学校や職場、地域など、身近なところだけでも多くの人の支えを受けて成り立っています。今、その支えと共に、周囲から自分自身に向けられているさまざまな思いを、あらためて見つめてみたいものです。

■見えないところに「祈り」はある

平成23年3月11日に発生した東日本大震災に際しては、世界中から有形無形の支援が寄せられました。被災地の方以外でも、海外から支援物資が届いたことを報道で知ったり、温かいメッセージに触れたりして、励まされたという方もあるでしょう。次に紹介するのは、そうした中で寄せられた「思い」という、無形の支援の一例です。

震災の発生からしばらく経ったとき、インターネット上で小さなニュースが流れました。台湾のある大手メーカーが出荷したパソコンの基板に、ごく小さく「GOD BLESS JAPAN(日本に神のご加護を)」という文字が印字されていたというのです。当の会社も外部から問い合わせを受けるまでは認識していなかったようで、一技術者の思いつきから行われたものらしいということです。しかも「無断とはいえ、一日も早い日本の復興を祈ってしたことだろうから」と、会社側はその行為を黙認したといいます。
(参考=平成24年6月27日付「フジサンケイビジネスアイ」)

もしかしたら、私たちのパソコンにも「GOD BLESS JAPAN」と印字された基板が組み込まれているかもしれません。

たとえ見えないところであったとしても、また、どこの誰とも分からなくても、確かに自分のことを思ってくれている「誰か」がいる――そうした事実に気づいたとき、私たちの心は温かくなります。そこから“今度は自分が誰かのために祈り、支えることができるようになりたい”という思いも生まれてくるのかもしれません。

■「誰かの思い」に気づいたら

私たちが社会生活を送るうえでは、なんらかの形で必ず他の人の支えや思いを受けています。しかし、私たちは日ごろ、そうしたことに意識を向けているでしょうか。

誰かが自分に向けてくれた温かい思いを、直接的にではなく人づてに知ることもあるでしょう。また、10年も20年も経ってからようやく気づくことのできる「誰かの思い」もあるでしょう。しかし気づいたその瞬間、私たちの心には「生きる力」が湧いてくるのではないでしょうか。

何か事が起きて“ひょっとしたら、あの人が私の幸せを願っていてくれたのではないかしら”と感じたときは、素直に感謝の気持ちを寄せてみましょう。また、自分に向けられた「誰かの思い」に気づけるようになるためには、「誰かを思う」という実践をみずから積極的に積み重ねていくのも一つの方法です。そうした心の訓練によって、自分自身に向けられた「思い」に対する心の感度も高まっていくことでしょう。

自分を支えてくれている他者の思いを感じとり、“今度は自分自身もそのようにして人を支えていきたい”と思うようになれば、多くの人たちと「温かい思いを向け合う関係」を築いていくことができます。そうした「思い合い、支え合う善の循環」に自分自身も加わりながら、温かい社会を実現していきたいものです。

(『ニューモラル』546号より)