幸せの「掛け算」

私たちは自分の願望が満たされると、幸せな気持ちになります。とはいえその「幸せ」が、誰かの「我慢」や「不幸せ」のうえに得られるものだとしたら、どうでしょうか。誰かの幸せを減らした分だけ自分が幸せになるのではなく、自他共に幸せを増していける――そんな生き方について考えてみませんか。

■「幸せ」の段階

幸せには、いくつかの段階があるとされます。「誰かに何かをしてもらうこと」も幸せの一つでしょう。しかし、その幸福感は一時的なものです。人から「してもらうこと」を期待するばかりでは、「してもらえなかったとき」には不満が募るなど、徐々に心が満たされなくなっていくことにもなりかねません。

人のために自分の時間を使い、汗を流し、時にはお金を使う。「人のために何かをさせていただく」「何かを差し上げる」といった場合、そうした自分の努力や苦労の結果は、自分以外の誰かが受け取ることになります。一見すると、自分は損をしているようにも見えるかもしれません。しかし、他人の喜びを「わが喜び」とする人は、周囲の人たちから好かれ、頼りにされるものです。そして「あなたのことを頼りにしています」「あなたのおかげで助かりました」などと言われたら、誰もがうれしい気持ちになるのではないでしょうか。

■そろばん哲学

私たちの生活は、家族や友人、職場の同僚、近所の方など、常に多くの人たちとの関わり合いの中にあります。その意味で、私たちの幸福感は、そういった人たちといかに気持ちよく、温かく関わることができているかに大きく左右されるといえるでしょう。例えば、誰かの幸せを減らすようなことをする人は、やがて周囲から疎まれ、過ごしにくくなっていくものです。逆に誰かの幸せを大きくしようとする人の周りには、よい人が集まり、その温かさに包まれながら幸せな毎日を送ることができるはずです。

『次郎物語』『論語物語』などで知られる作家・教育者の下村湖人(しもむら・こじん)は、その著作の中で、こうした人生の極意を「そろばん」にたとえた人の話を紹介しています。

「引き算と割り算は、数の勘定に役に立つだけでもうたくさんです。人間と人間との関係に引き算や割り算があってはなりません。人生の営みは、すべて足し算と掛け算でいきたいものです」
(新装版『青年の思索のために』PHP研究所)

人と関わるほどにマイナスの感情が引き出されたり、誰かの幸せが減ったりするような人間関係は、「引き算」や「割り算」であるといえるでしょう。これに対して、お互いにとってプラスになるのが「足し算」の生き方であり、それ以上に創造的なのが「掛け算」であるといえます。

「掛け算の人生になると、甲の人の力は乙の人の中に、乙の人の力は甲の人の中に溶けこんで、おたがいに力を強めあうのです。つまり自分を忘れ、他を生かそうとするところに、二と三が五にならないで六になる、掛け算の秘密があるのです」(前掲書)

■分かち合い、掛け合わせる「幸せ」

喜びや幸せは、自分一人で味わうより、他の人々と分かち合うことで、いっそう大きくなるものです。さらに進んで、自分の努力や苦労の結果を、他の人の喜びや幸せのために差し上げる――そんな心をもって自分を高める努力を重ねる人こそ、自他共に幸せを増していく「掛け算」の人生を送ることができるのではないでしょうか。どんなことに幸せを見いだすかは、人それぞれでしょう。しかし「掛け算」の人生をめざす人が多くなればなるほど、世の中の「幸せ」の量は、確実に多くなっていきます。心豊かな社会とは、そうした一人ひとりの心がけによって築かれていくのです。

(『ニューモラル』541号より)