失敗に学ぶ

人間は、誰でも「失敗」を経験するものです。失敗しない人などいません。そのことはよく分かっていても、実際に失敗をしてしまうと、私たちは落ち込み、なかなか立ち上がれなくなります。再び失敗することを恐れ、チャレンジ精神を失ってしまうこともあります。心がこわばってしまうのです。今回は、失敗の経験を生かし、人間的に成長していくための心のあり方について考えます。

■失敗による心の傷と回復

はじめに『失敗学』という学問を提唱している東京大学名誉教授・畑村洋太郎(はたむら・ようたろう)先生の本の一節をご紹介します。

……失敗したときには誰だってショックを受けるし傷つきます。本人は気づかないかもしれませんが、直後はエネルギーが漏れてガス欠状態になっています。こういうときに失敗とちゃんと向き合い、きちんとした対応をしようとしても、よい結果は得られません。大切なのは「人(自分)は弱い」ということを認めることです。自分が、いまはまだ失敗に立ち向かえない状態にあることを潔く受け入れて、そのうえでエネルギーが自然に回復するのを待つしかないのです。(畑村洋太郎著『回復力 失敗からの復活』講談社現代新書より)

■偉人たちの失敗と不遇

次に歴史上の偉人たちの例をご紹介します。

エイブラハム・リンカーン(アメリカ合衆国16代大統領)
青年期には商売の失敗も経験した。1832年に州議会議員に立候補したが落選、2年後に初当選。生涯を通じて何度も選挙に落選している。

トーマス・エジソン(発明王)
子供のころ、学校教育にはなじまなかったという。電球の発明までには膨大な回数の失敗を重ねたが、「気落ちしたことも、諦める気になったこともない」と、のちに語った。

ウィンストン・チャーチル(第二次世界大戦でイギリスを勝利に導いた首相)
自叙伝には、学校での成績が悪かったことも綴られている。士官学校の受験には、3度目でようやく合格した。首相になるまでには、選挙での敗北も経験している。

高橋是清(たかはし・これきよ/明治から昭和初期に活躍した政治家・財政家)
アメリカ留学の後、教員等を経て特許局の初代局長となるが、職を辞して渡ったペルーでの銀山開発に失敗、財産を失う。波瀾万丈の歩みを経て日銀総裁、蔵相、首相等を歴任。金融恐慌時にも、請われて蔵相を務めた。

ほかにもたくさんの例がありますが、偉人と言われる人たちでも決して順風満帆な道だけを歩いてきたわけではなく、多くの失敗や挫折を味わってきました。それでも彼らは決して諦めず、その失敗と挫折をバネにして成功をもぎ取ったのです。

■失敗の本当の原因

……もともと失敗について検討するときには、人は、「自分は悪くない」という理由づけをどう行うかを重点的に考える傾向があります。そして、そのことばかりに気をとられているうちに、時間の経過とともに自分を正当化する理由だけが頭の中に残るのです。その一方で、失敗を招いた自分の悪い行為に関する記憶はいつの間にか消えてしまいます。その結果、頭の中ではいつの間にか自分にとって都合のよい架空の記憶へのすり替わりが起こるのです。こうした状態で失敗が隠蔽され続けると非常に危険です。(中略)それは隠すことで、失敗の原因が放置されることがよくあるからです。周りの状況が以前と同じままであるうえに、本人には自分が失敗を起こした自覚がないとなると、隠したのと同様の失敗が再発する可能性は当然高くなります。(前掲『回復力』より)

■失敗は次へのステップ

日常生活の中で問題が生じたとき、私たちは必要以上に後悔や悲観をしたり、自暴自棄に陥ったりしがちです。また、原因や責任の追及のみにとらわれて、自分の正しさを主張したり、他の人を責めたりもします。これではいつまでたっても問題が解決しないばかりか、相手に対する不満を互いに募らせて、事態をますます悪化させることにもなりかねません。もちろん失敗によって、一時は気持ちが落ち込むのも致し方のないことですし、問題を正しく解決し、同じ失敗を繰り返さないためにも、原因を究明することは必要です。しかし、何より大切なのは、その失敗を受けとめる自分自身の心のあり方です。人生においてはたびたび失敗や挫折、苦難を味わうものですが、生じてしまった事態をどのように受けとめるかによって、失敗の経験もプラスへと転化させることができるのです。苦難を「自分を次のステップへと導いてくれる、絶好の成長の機会」として前向きに受けとめるとき、それは苦しみではなくなります。そして苦難を克服したときには、計り知れない喜びがあります。

■日ごろの自分を見つめ直す

生じてしまった事態は、再び元に戻すことはできません。問題が生じたときはそうした自覚に立ち、未来に向けて積極的に事態の改善に取り組んでいくことが大切です。これは、自分の過失によって生じた問題であれば、素直に自分の非を認め、深く反省して責任ある態度を取るということです。また、たとえ自分に非のない場合でも相手を責めることなく、これを機に日ごろの自分を見つめ直してみるのです。そうするうちに、おのずと相手とも心が通い合い、力を合わせて、解決と成長への確かな一歩を踏み出せるでしょう。この、与えられた境遇に感謝し、他の人に対する広く深い思いやりの心を持って自己を省みるという謙虚さは、物事が順調に進んでいるときにこそ必要な姿勢でもあります。そうした心づかいの積み重ねによって、自分自身の人間性や創造力、粘り強く努力する力が高められ、同時に周囲との円滑な人間関係を築いて、喜びに満ちた人生が開かれていくのではないでしょうか。

(『ニューモラル』507号より)