優しさってなんだろう?

人は誰しも「優しさ」を求めています。他の人から優しい言葉をかけられたり、温かい対応を受けたりしたときに、不快に感じる人は少ないでしょう。そして、皆さんがさまざまな形で発揮する「ほんの少しの優しさ」は、自分自身や周囲の人の日常を変える、大きな一歩につながることもあります。
今回は、そうした「優しさ」の魅力について考えます。

■母の喜び

山本さん(53歳)は、製薬会社に勤めるサラリーマンです。山本さんの母・久枝さんは、今年で78歳になります。3年前にひざを痛めてからは体調がすぐれず、ベッドで過ごす時間も多くなってきました。
そのころから、山本さんは帰宅すると、久枝さんの部屋に顔を出して「母さん、ただいま」と声をかけるようになりました。すると久枝さんは、ベッドで横になっているときも、いつも穏やかに「お帰り」と言葉を返すのでした。
そんなやり取りを始めてから半年ほどが経った、ある日のことです。山本さんが久枝さんの部屋に顔を出した後、遅めの夕食を取っていると、妻の由紀子さんが言いました。
「あなた、今日もお母さんに声をかけてきたのでしょう」
「ああ、さっき部屋に行ってきたよ」
「お母さんね、とても喜んでいるわよ」
山本さんは思わず箸を止め、由紀子さんの顔を見ました。
「喜んでいるって……どうして?」
「決まっているじゃない。お母さんね、仕事から帰ったあなたが声をかけてくれることがすごくうれしいって、いつも私に言っているのよ」
由紀子さんの言葉に、しばらく間をおいて、山本さんはつぶやきました。
「そうか、母さん、喜んでいるのか。そうなんだ……よかった」

■母の心に寄り添う

久枝さんがまだ元気だったころ、山本さんには〝親子なのだから何も言わなくても通じ合えるし、帰宅を知らせるためだけに部屋を訪ねるのも、なんだかわざとらしい〟という思いがありました。しかし久枝さんが床に就くようになって、思いが少しずつ変わっていったのです。
山本さんはそのころのことを、こう振り返ります。

「母が寝込むようになったころ、ちょうど私の子供たちも進学や就職で家を離れました。その寂しさもあったのか、母が急に年老いて小さくなったように感じられました。そんな姿を見ているうちに、〝少しでも母の心に寄り添いたい〟という思いが湧いてきました。
でも、具体的には何をしたらいいか分からなくて……。ふと思いついたのは、『できるだけたくさん声をかけ、話をするようにしよう』ということ。大それたことはできないけれど、それくらいなら自分にもできると思ったんです」
ところがいざやろうとすると、そうした習慣がなかった山本さんにとっては気恥ずかしさも手伝って、その「ひと声」さえも簡単なことではなかったのです。しばらくは、ばつが悪いような思いを味わいながらも、意識して続けていくうちに、いつしかごく自然に声をかけられるようになっていったと言います。
「帰宅したら母の部屋に顔を出し、『ただいま』と言って、その日の出来事などを少し話します。休みの日も、できるだけ母の部屋に足を運びますが、たわいもない話をするだけなんです。
母は笑顔で応えてくれてはいましたが、妻から『すごく喜んでいる』と聞いたときは少し驚きました。でも考えてみれば、いくつになっても子供は子供ですから、母にしてみればそんな些細なことでもやっぱりうれしかったんでしょうね。こんなことで喜んでくれるのなら、もっと早くからやっていればよかったなあ……。
実は母が喜ぶ姿を見て、妻もとても喜んでくれているんです。そして何より、二人の喜ぶ姿を見ることができて、私自身がうれしいんですよ」

「優」という字は、人偏に「憂」というつくりでできています。「憂」とは、相手のことが気にかかる、心配だ、なんとかならないかと、相手のことに心を痛めることです。
年老いたお母さんを思い、その心に寄り添いたいと思った山本さん。そんな優しさがこもった山本さんのひと言で、久枝さんが喜び、由紀子さんが喜び、そして山本さん自身が喜ぶ。ささやかな実践ではありましたが、その心づかいが家族全体の喜びにつながったのです。

■優しさとは、常に相手に心を向けること

私たちの心づかいは、言葉、表情、態度、行動など、さまざまな形で表れますから、「優しさ」とひと口に言っても、そこにはいくつもの表現があります。例えば、励ましの言葉をかける、明るい表情で接する、相手の話に耳を傾ける、柔らかにほほ笑むなど。これは、直接的に相手に働きかける「優しさ」であると言えるでしょう。
一方で、見守る、幸せを祈るという優しさもあります。これは間接的で、伝わりにくいかもしれません。しかし、言葉や態度といった直接的な優しさに、相手の心に寄り添いながら、粘り強く見守り、幸せを祈るという優しさが加味されることによって、その優しさは、より深いものになるのではないでしょうか。
優しさとは、常に相手に心を向けることにあります。いくつもの温かい心や言動が合わさり積み重なって、一つの大きな「優しさ」が形づくられ、相手を大きく包み込んでいくと言えるでしょう。
今よりもほんの少しだけ、人に優しく接してみませんか。その優しさが自分の人生を明るく輝かせ、さらには周囲の人たちの心を温かく照らしていくのです。

(『ニューモラル』510号より)

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