「安心」を生む親孝行

私たちにとって、親は非常に大きな存在です。自分にいのちを与え、養い育ててくれた親からは、自分自身が成長し、自立してからも、人生を歩んでいくうえで大きな影響を受けることでしょう。

今回は、年老いた親を支える家族の心づかいについて考えます。

■お父さんが入院? そのとき兄弟は……

東京近郊に住む会社員の坂井俊和さん(43歳)は、結婚して10年。現在は2児の父親となり、自身が生まれ育った実家の近くに住んでいます。実家では、70代になった両親が2人で暮らしており、俊和さん一家との行き来も多く、和やかな日々を送っていました。

ところが1年前、それまで病気一つしたことのなかったお父さんが突然、病に倒れました。俊和さん夫妻は、入院中のお父さんやそのお世話をするお母さんのことを、何かと気づかっていました。それが最近になってお母さんも体調を崩し、病院にかかるようになったのです。
俊和さんも、いずれはこんな日が来ることは想像していました。妻の陽子さん(39歳)も手助けをしてくれるのですが、6歳と8歳の子供を抱え、また、家計を助けるために近くの工務店で事務のパートもしていて、なかなか思うようには時間が取れません。そこへお母さんに代わって入院中のお父さんのお世話をしたり、お母さんの通院に付き添ったりもするようになり、俊和さん夫妻はとても忙しくなってきました。

俊和さんには、3つ年上のお兄さんがいます。お兄さんは仕事の都合もあって、奥さんの実家の近くに家を構えました。俊和さんたちが住む町からは、車で2時間半ほどかかる場所です。そんな事情もあって、俊和さん夫妻は両親の近くに住むことにしたのですが、慌しい生活の中で、次第にお兄さんのことが腹立たしく思えてきました。
結婚以来、お兄さんが実家の両親を訪問するのは、3か月に一度ぐらい。お父さんの入院後、見舞いに訪れる回数は多少増えたものの、そのほかは俊和さんに電話をかけてきて「親父は今、どんな様子だ? おふくろはどうしている?」と、尋ねる程度です。
当初は〝兄さんは遠いところにいるし、自分たち夫婦で両親を支えなければ〟と思っていた俊和さんも、やがて「結局、兄さんは親のことを弟の自分に押しつけているだけじゃないか。もっと実家に来て、こちらがどんな様子なのかをしっかり見てほしいよ」などと、妻の陽子さんに愚痴をこぼすことが多くなりました。

■お母さんの悲しい顔

ある日曜日、離れて暮らしている俊和さんのお兄さんが、入院中のお父さんを見舞いました。その日は両親の体調もよく、病室を訪れたお兄さんと、和やかに話を弾ませています。
「遠いところ、いつも悪いねえ。仕事も忙しいんだろう? あちらのご両親は、お元気かい?」
「まあ、おかげさまでなんとかやっているよ。それより、父さんと母さんのことは俊和に任せきりで……」
両親は元気そうなお兄さんの話しぶりにうれしそうですが、そこに居合わせた俊和さんのいらだちは収まりません。「明日も早いんでしょう?」と、帰りの時間を心配するお母さんと一緒にお兄さんを見送った後、こんな言葉が口を衝いて出ました。
「兄さんはたまに来て、いい顔をするんだからなあ……」
そのつぶやきを耳にしたお母さんは、一瞬悲しそうな、情けないような表情を浮かべました。俊和さんは〝しまった〟と思いましたが、一度口から出た言葉は取り消せません。

■親の恩に報いるために

「親孝行」と言うと、プレゼントをすること、食事や旅行に招待することなどを思いつく人も多いことでしょう。また、俊和さんが実践してきたように、老親の日常の手助けや、看病・介護などに尽くすことも、その一つです。
しかし、その基本としてまず考えなければならないのは「親に安心していただく」ということです。
親にしてみれば、自分が生み育てた子供は、どんなに成長しても「わが子」です。たとえ社会的に自立し、経済的に豊かになったとしても、常に子供のことを心配し、気づかう存在なのです。そうした親の心を思い、まずは自分の体を大切にすること、また、兄弟姉妹が仲睦まじくすること、そして円満な家庭を築いていくことで、親の心にどれほど大きな安心と喜びが生まれることでしょうか。

■「安心」が育む豊かな人間関係

「相手に安心を」という心がけは、どんな人間関係においても大切です。
お母さんが悲しむ顔を目の当たりにした俊和さんは、これまで自分の考えだけで行動しつつ、心の中ではお兄さんを責めてきたことに気づきました。離れて暮らしているお兄さんには、お兄さんなりの事情や思いがあり、そうした中でも両親のことを心配しているはずです。

俊和さんは、そんなお兄さんを安心させるためにも、両親の状況をできるだけこまめに知らせようと考えました。思えばこれまでは忙しさやいらだちも手伝って、つい、お兄さんからの電話にもぞんざいな応対をしてしまっていたような気がします。もっとよく話し合えば、俊和さん一人では考えつかなかった点に気づくかもしれません。また、兄弟が同じ心で尽くす姿を見たとき、両親はどんなに安心し、喜んでくれることでしょうか。

――兄さん、そちらは皆さんお変わりありませんか。この間は忙しい中、兄さんが訪ねてきてくれたことを、父さんも母さんもとても喜んでいました――

そんなメールを打ちながら、俊和さん自身も少しずつ変わってきています。

(『ニューモラル』503号 一部改編)

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