食から見直す「いのち」

食生活の乱れが指摘されるなかで、食に対する関心が高まっています。なかでも、食に対する教育、いわゆる「食育」への取り組みが強く求められています。今回は、食の大切さについて考えます。

■子供たちの変調

小学校の保健室で勤務する養護教諭の田辺泰代さん(たなべ・やすよ 55歳)。長年、子供たちと接してきた泰代さんですが、ここ数年、体の不調を訴えて保健室にやってくる子供が増えたと感じています。そうした子供のなかには、朝食をとらずに学校に来ている子供が少なくありません。朝食を済ませた子供でも、実際は菓子パン一個を食べてきたとか、ジュースを飲んだだけとか、なかにはスナック菓子が朝食代わりだという子供もいました。
朝食をとらない理由を子供に聞いてみると、「夜更かしをして朝起きられない」とか、「夜遅くに夕食やお菓子を食べたために食欲がない」ということでした。「母親が起きないので仕方がなく」という子供がいたのには少し悲しくなりました。
また、特に子供たちの体の異常が増えてきたことも気がかりです。太りすぎで体を動かすのがつらいという子供も、1人や2人ではありません。同僚の教員たちに聞いても、「疲れやすい」とか「気力が感じられない」「ちょっとしたことでカーッとなる」といった子が増えていると言います。泰代さんは、こうしたことが、食生活の乱れと密接に関係していると思っています。

■好きなものしか食べない

ある広告代理店が行った食事の実態調査によれば、子供たちの食生活に大きな変化がはっきりと表れています。この調査は1960年以降に生まれた主婦110人を対象にして、実際の食卓に上った料理を1週間にわたって写真に撮り、記録した調査結果をまとめたものです(岩村暢子著『変わる食卓 変わる家族―真実に破壊されるマーケティング常識』勁草書房)。
全体的に見れば、日常の「食」に対する関心が急速に薄れてきていることがうかがえます。食事にかける時間や手間をできるだけ省こうとする傾向が強く、コンビニ弁当やファスト・フード、レトルト食品ばかりが続き、ほとんど料理をしない家庭もありました。菓子パンと味噌汁といった一見奇妙な取り合わせの朝食も、それほど珍しいものではないようです。
特に重要な指摘は、食事の「個食化」が進んでいるという点です。家族がそれぞれに忙しいため一緒に食事がとれず、1人きりで食べざるを得ないという「孤食」は以前からもありましたが、家族が同じ食卓を囲みながらも、それぞれが別々の料理を食べる「個食」「バラバラ食」が増えつつあります。
その主な原因は、子供の好みに親が合わせすぎるという傾向にあります。かつては、嫌いなものでも残さず食べさせることは大切なしつけの1つでしたが、現在ではそれは無理強いであるとして避ける親が増えてきました。嫌いなおかずには子供が手をつけないために、好きなおかずしか出さない傾向が強くなっています。その背後には、嫌がる子供にむりやり食べさせることを負担に感じる親の側の事情があります。

家族と共にする食事は、家族の絆を強めるとともに、食事のマナーや調理法、味付けなど、食に関わるさまざまな文化を伝える場でもありました。コンビニで買ってきた出来合いの料理を各自がバラバラに食べるという状況では、そうした機能は弱まってしまいます。伝えるべきことが伝えられなかったのが、現在の状況であり、その傾向はますます強くなっています。
食生活の崩壊は、単に健康面での問題ばかりでなく、私たちの生き方そのものに大きく関わる問題なのです。

■心を癒すおむすび

青森県弘前市に住む佐藤初女(さとう・はつめ)さんは、岩木山の麓に「森のイスキア」と名づけた憩いと安らぎの家を主宰し、心を病んだ人や苦しみを抱えた人々を受け入れ、食事を通じて多くの人たちを癒し、救ってきました(『おむすびの祈り――「森のイスキア」心の歳時記』集英社文庫)。
熱心なクリスチャンである初女さんですが、「森のイスキア」では特別なことをするわけではありません。苦しむ人々の話す言葉に静かに耳を傾け、手料理を一緒に食べるだけです。深刻な悩みを抱えている人の場合、最初は何ものどを通らないことが少なくありません。しかし、初女さんに話を聞いてもらい、閉ざされた心が少しずつ開くようになってくると、胸のつかえがとれたように一口、二口と料理を口にすることができるようになります。
「森のイスキア」の食事の中でも、特に人気があるのがおむすびです。ふっくらと炊き上がってつやつやと輝くご飯を手にとり、お手製の梅干を具にしてほどよい力加減で握る。祈りを込めて握られた初女さんのおむすびを食べることで、病んだ心が次第に癒され、元気を回復していきます。食事を通じてその人が本来持っている生命力が引き出されるのでしょう。

■いのちをいただく

初女さんは、若いときに17年あまりにもわたる闘病生活を経験しました。注射や薬によってもなかなか良くならない中で、おいしいものを食べるときには、それが体に吸収され、生き返る心地を実感しました。このような自分の体験から「食べることでいのちをいただく」ことの大切さを学びました。
そして、1つひとつの素材のいのちを大切にするためには、そのいのちを生かす料理に精いっぱいの心を使わなければいけないと、初女さんは考えます。ほうれん草を切るにしても、ただ適当に切るのではなく、葉の束をきちんと揃えて切ります。また野菜をゆでるときには、やわらかくなりすぎて素材が持ち味を失わないように細心の注意を払います。それぞれの素材を自分の目で確かめ、どうすればその素材のいのちが生かされるかを考えてひと手間をかけること、心を込めて作り、おいしくいただくことが、いただいたいのちへの感謝であり、祈りであると初女さんは言います。

私たちのいのちは、すべて自然のいのちをいただくことで維持されています。いただいたいのちに感謝する。そして、それを生かしていくためのひと手間を惜しまない。このようなていねいな生き方に、私たちの生活を健康で心豊かなものにしていく、秘訣があるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』452号)

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