心の生活習慣

毎日の生活習慣が体に影響を及ぼすように、私たちの人生も、日々の小さな行いや心づかいの積み重ねによって大きく変わっていきます。よりよい人生を送るため、「心の生活習慣」を見直してみましょう。

■間違って生まれた子?

ニューヨーク大学付属病院の小児科病棟に、ナンシーという3歳の女の子が入院してきました。彼女の身長と体重は、1歳児の標準体型しかなく、まるで体中が干物になったような痛々しい姿で、言葉も全然しゃべれませんでした。
入院から3か月を過ぎてもナンシーは、身体にはなんの障害もないのに、まったく成長しませんでした。
いろいろと調べていく中で、医師はナンシーの入院以来、彼女の両親が一度も面会に来ていないことを知りました。そこで、ナンシーの両親に面会に来るように呼び出しをかけましたが、いっこうに来る気配はありません。医師は両親に会うためにナンシーの家を訪ねました。
ナンシーの両親は、2人とも若く、エリートコースの中でも最高といわれるハーバード大学大学院のビジネスコースに在籍中でした。そして、今手がけている論文の出来上がりが今後の人生を決めるのだから、今が山場であると言い、ナンシーのことを話す時間さえないような状態でした。
やっとのことで話を聞くと、母親は次のように言いました。
「この論文がうまくいけば、世界中のどこへ行ってもエリートとして受け入れられます。だから論文が通ったあとで子どもをつくりたかったのです。しかし、ナンシーは間違って生まれてきてしまったのです。初めのうちは、私たちもナンシーにミルクや食べ物をあげていましたが、今は面倒を見る暇がないので、もうちょっとあずかっていてください」
この言葉を聞いた医師は、黙ってその家を去りました。
 

■愛の呼びかけ

病院に戻った医師は、ナンシーを病棟から出し、陽当たりがよく、人の行き交う廊下にベッドごと移動させました。そして彼女の頭上に大きなはり紙をしました。

――私はナンシーです。あなたがここを通るとき、もしあなたが急いでいるならば「ナンシー」と呼んで、ほほ笑みかけてください。
もしあなたに少しの時間があるならば、立ち止まって「ナンシー」と呼びかけ、私を抱き上げ、あやしてください。
もしあなたに十分なゆとりがあるならば、「ナンシー」と呼んで私を抱き上げ、ほおずりをして、あなたの胸と腕の温かさを私に伝えてください。そして、私と会話をしてください――

すると、そこを通る医師や看護師は、みんな足を止めて、ほほ笑みながら「ナンシー」「ナンシー」と名前を呼び、抱いたり、あやしたりしました。
1週間が過ぎたころ、ナンシーはほほ笑むようになりました。そして3か月経ったころには、ナンシーの体重は正常な3歳児にほぼ近づき、言葉も急速に覚え始めたのです。
ナンシーは、病院中が愛情をかける対象となり、周りの人たちもみんなが幸せな気持ちになっていったのです。
(鈴木秀子著 生涯学習ブックレット『家族をはぐくむ「愛」の贈りもの』モラロジー研究所刊より)

■“うれしい”は生きる力の源

言葉やほほ笑みをかけることは、日常の小さな行いの1つです。私たちは誰でも、このような優しい言葉をかけられたり、思いやりのある態度や温かな笑顔に接すると“うれしい”と感じます。この“うれしい”という喜びの感情こそ、人間の生きる力の源泉ではないでしょうか。
ナンシーに向けられた言葉やほほ笑みは、何も特別なものではありません。しかし、その日々の小さな行いの中に、多くの人々の温かい思いやりと優しさが込められたとき、幼い子供の心に生きる力が芽生えました。
そして、その積み重ねが、彼女自身の中に大きな生きるエネルギーを育て、彼女の命を救ったのです。
この話は、人間の心が持っている力の大きさを感じさせます。同時に、小さな行いと心づかいを積み重ねていく大切さを証明したものといえるでしょう。

■人生は心づかいの積み重ね

聖路加国際病院名誉院長を務めた日野原重明(ひのはら・しげあき)氏は、糖尿病や心臓病、脳卒中やがんなどの慢性病(成人病)は、ある日突然にやってくるものではなく、若いころからの生活習慣のあり方によって、病気の根がだんだんと広がっていき、ある年齢に達すると症状が出てくることに着目しました。そして「生活習慣病」という名称を提唱しました。
今日では、その意見が取り入れられて、従来呼ばれてきた「成人病」は、「生活習慣病」と呼ばれるようになりました。

私たちの心づかいについても同様のことがいえるのではないでしょうか。
心づかいは目に見えるものではありませんが、隠そうとしても隠しきれるものではありません。表情や言葉、態度、行動などに表れ、いつとはなしに周囲にも伝わっていきます。
心づかいは、日々の生活の中で、人を思いやり、優しく慰めるよいはたらきもしますが、人を責めたり、傷つけたりという悪いはたらきもします。こうした「心の生活習慣」が積み重なって、人生のある時期になると、人間関係を中心に、さまざまな形で問題が表れてきます。
今まで問題なく過ごしてきた人が、ある時期になって、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」「いつ道を間違えたのだろう」「家族の中で自分だけが孤立していた」という言葉をもらすことがよくあります。
それは、自分ではなんでもないと思うような日々の小さな行いと、目には見えない心づかいの積み重ねが、人生を形づくっているからです。
だからこそ、私たちは、毎日の生活の中で、心の生活習慣を少しでもよりよい方向へ改善していく必要があるのです。

(『ニューモラル』418号)

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