生かされている私たち
私たちは、自然の中で生かされている存在です。今回は、自然とつながった生き方について考えます。
■2年前の出来事
ちょうど2年前のことです。企業の管理職として多忙な毎日を送っていた斉藤さん(59歳)は、出張先で突然倒れました。営業所での打ち合わせが終わったところで少し気分が悪くなり、休むためホテルに戻り、部屋の前までたどりついたところで、左半身に力が入らなくなり、廊下に倒れてしまいました。助けを呼ぶこともままならない状態でしたが、たまたま通りかかった他の宿泊客に発見されて、救急車で病院に運ばれました。
診察の結果は脳梗塞でしたが、幸いにも発見が早かったために、すぐに血栓を溶かす薬による治療が行われました。その後の経過は比較的順調で、2週間後には自宅近くの病院へ転院することができました。それとともに、すでに始めていたリハビリを本格的に行うことになりました。
■不安な日々
必ず元どおりの生活に戻る、という強い決意を持って臨んだリハビリでした。やがて少しずつ身体は動くようになりましたが、日によってはあまり変化がなかったり、痛みが強くなったりという状況が続き、いらだつ日々が続きました。
会社の人や友人たちが見舞いに訪れたときには気丈にふるまうのですが、夜ベッドに入ると、いろいろと心配になってなかなか寝付くことができません。仕事のこと、家族のこと、何よりもこれから自分がどうなるのか、不安でたまりませんでした。
そんなある日のこと、談話コーナーの壁に掛けてあった日めくりカレンダーの言葉に目を留めました。
「なにはともあれ 生かされている」
書家・詩人の相田みつをさんの独特な文字で書かれたその言葉に斉藤さんはじっと見入り、何度かつぶやいてみました。
その日の夜、ベッドの中で、斉藤さんは倒れたときのことを思い返していました。
「もしも廊下ではなく部屋の中で倒れたら、もしも誰も通りかからなくて発見が遅れていたら、自分はもうこの世にいなかったかもしれない」
そう考えると、「生かされている」という言葉が、自分にとって切実なものに思えてなりませんでした。
「なにはともあれ生かされているか……」
そうつぶやくと、身体のこわばりが少しほぐれたような気がして、気づかないうちに眠りに入っていきました。
翌日、久しぶりにぐっすりと眠れた斉藤さんは、ゆっくりとベッドから起き上がると、窓のカーテンを開けて外の景色に目を向けました。見慣れた景色が、今日はなぜかいつもと違い、すべてが新鮮に見えました。
“自分も他の生き物も、同じように、いのちを与えられている存在なんだ”
そう思うと、穏やかな気分が心の中に満ちてきました。
■今生きていることは「有り難い」
私たちは日常生活の中で、「自分は生かされている」と実感するのは難しいことかもしれません。しかし、事実として、私たちのいのちは、自然のはたらきに支えられています。空気や水、大地、太陽の光などのさまざまな自然の恵みがあってはじめて、私たちは生きていくことができるのです。
この地球上で私たちが生きていくことができるのは、自然が絶妙なバランスを保っているからです。例えば、太陽と地球がもっと近かったら暑すぎて生物は生きられないでしょう。逆に今より遠ければ、すべてが凍りついた世界となります。
地上に降り注ぐ太陽の光のおかげで、あらゆる生物が育ち、成長していくことができます。私たちは、そうして育った他の生き物のいのちをいただくことによって、自分のいのちを維持しているのです。
こうして考えてみると、私たちが今生きていることは、ある意味で奇跡的なことであり、まさに「有り難い(「めったに無い」の意)」ことなのです。
■生かされていることに感謝する
自然の中で人間は小さな存在ですが、同時にすべてのものとつながった大きな自然の一部であるとも考えられます。私たちは自然から生きる力を与えられています。そのことに感謝して、自分に与えられた力をできる限り生かしていくことが、自然とつながった生き方ということになります。
今日ここに生かされていることを感謝し、毎日の生活の中で、あるいは仕事や学業などを通して、与えられたいのちを生かすように自分のできることを誠実に努力する。そうした態度を持つことで、私たちは自分の生きる意味と幸福を感じとることができるのではないでしょうか。
(『ニューモラル』467号)