善意は巡る

私たちの生活を振り返ってみると、多くの人々の善意と親切によって支えられています。
今回は、広く社会を巡っている善意や親切に対して、どのようにこたえればよいのかを考えます。

■見知らぬ人の親切が

大学生の佐藤健太さんは、ミクロネシア諸島にあるパラオ共和国に旅行をしました。世界有数のスキューバダイビングの拠点として有名で、以前からパラオの海に潜ってみたいと思っていたのでした。これまでも海外でダイビングを数回経験していたので、宿泊先や予定は特に決めず、パラオ到着後にホテルを探すことにしていました。
入国審査を終えてロビーに出たところ、宿を探すために当てにしていた観光案内所は閉まっていました。そこで、タクシーを捕まえようと空港の外に出た健太さんは、思わず立ち尽くしました。
“タクシーがない……”
仕方なく空港ロビーに戻った健太さんでしたが、空港内は人影もまばらで、だれに助けを求めていいのかも分からず、急に心細くなっていきました。
しょんぼりとうつむいていた健太さんに、男性が日本語で「何かお困りですか」と話しかけてきました。それは入国審査後に、手荷物を渡してくれた空港職員でした。その人に事情を話すと、「もう少しで仕事が終わるから、ちょっと待っていて。ホテルを知っているから案内してあげるよ」と言い残し、カウンターのほうへと去っていきました。
仕事を終えた空港職員の車で市街地へと送ってもらう車中でのことです。
「日本語が話せるんですね。どこかで習ったんですか」
「以前、大阪の大学に留学していました」
「そうだったんですか。でも、たいへん助かりました。タクシーもバスもなかったので、今晩は空港で寝るしかないと諦めていたんです」
「あなたの困った顔が見え、もしかしたら日本人ではと思ったのです。留学中のホストファミリーの人たち、私にとても親切してくれました。だから、困っている日本人を、そのときのことを思い出して、助けてあげたいって思うのです」

■日本人から親切にしてもらった

無事にホテルを紹介してもらえた健太さん。その翌日からは、スキューバダイビングなどで楽しい時間を過ごしました。
帰国前日には船で1時間ほどの島で潜ることにした健太さん。ダイビングを満喫し、海から上がって帰ろうと思っていた矢先、熱帯特有の激しい雨風のスコールが始まりました。港で天候が回復するのを待っていた健太さんのもとに、帰りの定期船が欠航するという知らせが来ました。
“今日中に帰らないと明日の早朝の帰国便に間に合わないし、帰国便を変更するお金も残っていないし……”
健太さんは途方に暮れました。
「船を出しましょうか。私の船なら悪天候でも大丈夫ですから」
突然、港の待合室で流暢な日本語で老人に声をかけられました。
出港してからしばらくして、老人はおもむろに口を開きました。
「私が日本語を話すことができるのは、パラオが昔、日本だったからです」
「えっ、日本だったって、どういうことですか?」
「第1次世界大戦が終わったとき、当時の国際連盟から委任されて、パラオ諸島は日本の委任統治領になったのです。私の小さいころには、パラオにも日本人がたくさん住んでいて、何もなかった私たちの小さな島にも、学校や発電所を建ててくれたのです。私が日本語を話せるのも、小学生のときに日本人の先生から教えてもらったからなんですよ。
私たちは、当時の日本人から正直、勤勉、誠実といったことを教えてもらったんですよ。私は君のおじいちゃんやおばあちゃん世代の日本人にお世話になったから、困っている日本人が港にいることを聞いて、放っておけなかったのです」

■感謝の気持ちを親切や思いやりに変えて

帰国した健太さんは、家族で夕食を囲みながら、パラオ旅行について話をしました。健太さんの父親はその話を聞いて言いました。
「大阪のホストファミリーと昔の日本人の親切が巡り巡って健太のところに回ってくるなんて、すごい話じゃないか」
「でも、恩返しと言っては大げさだけれど、親切にしてもらったのに、きちんとお礼をすることができなかったのが、ちょっと心にひっかかっているんだ。」
「確かに、その場の一度だけの出会いでお世話になった人に、直接お返しをすることは難しいかもしれない。そう言えば、健太のおばあちゃんが亡くなったとき、お寺の住職さんがこんな話をしてくれたんだ」

――仏教では、すべての物事は、直接的な原因の「因」と間接的な条件の「縁」によって成り立っていると考えます。例えば、花が咲くということは、種という直接的な因と、水・光・空気などの間接的な縁があって、はじめて可能になるのです。最初に因があり、そこに縁が働いて結果が出ます。そして結果がそのまま結果として終わるのではなく、また新たな因となり、新たな縁が加わって次の結果が生まれるのです。
私たちの巡り合いも、因と縁によってもたらされた結果ですが、巡り合いの糸のつながりは、私たちには見えないだけです。――

「健太のパラオの体験は、まさに見知らぬ多くの日本人の因によって、現地の人たちとの縁が生まれた話だ。その結果、健太は親切と善意の心を受けたんだ。
今度は健太自身が、その感謝の心を新たな縁に乗せて周りの人に伝えたらどうだろう。」
健太さんは個々人や国境を越えた、大きな善意のつながりを感じたのでした。

■「いつでも」「どこでも」「だれでも」


直接に親切を受けた人に対して、礼儀を尽くしてお礼を伝えることは大切なことです。けれども、親や恩師、先輩から受けた善意を返しきれなかった、親切にしてもらったのに相手の連絡先も分からないといった場合でも、その感謝の心を他人への善意として伝えていくことができます。そして、それは「いつでも」「どこでも」「だれでも」行うことができるのです。
親切な行いや思いやりの言葉といった善意は、目には見えませんが、あたかも物質が存在しているかのように、受けた人の心の中に残ります。善意の心はさらに善意の心をはぐくんでいきます。そして、一人ひとりの善意が少しずつ社会に広がり巡ることで、より良い社会が生まれてくるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』474号)

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