「内なるモラル」を発揮する ~ 道徳授業で使えるエピソード~

みなさんは、うそをついたこと、自分の失敗を人のせいにしたことはありませんか。私たちは、誰でも心の「弱さ」を持っています。ですから、よくないことだと分かっていても、つい行ってしまうことがあります。それでも、よくないことをすると、たとえ人に知られなくとも、自分で気がとがめたという経験はないでしょうか。それは、自分の心の中に道徳心が根づいているからです。

今回は、道徳心の大切さについて考えます。

■「うそをつくと記憶に残る」

広島大学の越智貢(おち・みつぐ)教授は、ある講演の中で、いくつかの小学校で道徳授業のアドバイザーとして、子供たちに接したときの出来事を紹介しています。
ある研究授業で、子供たちに次のような質問を投げかけてみました。
「『うそをついたらゲームを買ってあげる』と誘われたとき、あなたならどうしますか」
すると、ほとんどの子供が、
「ゲームは欲しいけれど、うそをつくことは悪いことだ」「うそをつくと親に叱られる」
などと答えました。ところが、1人だけ、
「うそをつくと記憶に残る」
と答えた女の子がいました。A子さんでした。越智教授は、この答えに衝撃を受けました。
「悪いことだと教えられたから」「誰かに叱られるから」というような理由ではなくて、自分の心の内部にある理由によって発言したこのA子さんの言葉には、ほかの子供たちの答えには見られない、しっかりとした意志と豊かな感性が感じられる。そして、A子さんにとって、うそをつくことが悪いのは、ただ単に他人や社会がそれを悪いとみなしているからではなく、A子さん自身の心の中に備わったものがそう判断させているからだと感じました。
そして、別の小学校のB子さんが書いた作文を思い出しました。その作文は、B子さんが幼稚園のときに初めてうそをついた経験について書かれたものでした。

■心に刻まれた悲しみと喜び

「さびしくて眠れなかった夜」
私は、かなしくてかなしくて、眠れなかった夜があります。それは幼稚園の時に、私が初めてうそをついた時のことです。
そのころ私は、ソラマメが大きらいでした。ある日、お弁当の時間のこと。お弁当箱のふたをあけると、私のきらいなソラマメが入っていました。私はドキッとしました。だから、先生やみんなにないしょで、机の下にソラマメを落としました。
その時、なんだか変な気持ちになりました。そう、なんだかさびしい気持ちに……。
そして、帰りの会が終わり、外にならんだ時、私の担任の先生が、「今日、お掃除の時間に、机の下にソラマメが落ちていました。今日、お弁当の中にソラマメを入れた人、いたら手をあげてください」と言いました。私は、こわかったです。〔私を迎えにきていた〕お母さんが手をあげました。その時、私はかなしかったです。
そして家に帰ったら、とてもおこられました。その時、私は「うそをついては、いけない」ということがわかりました。私は、うそをついた自分が、かなしくなってきました。
「もう、うそはつきません……」
お母さん、お父さんは、ゆるしてくれたけど、私はその夜、ぜんぜん眠れませんでした。さびしくてさびしくて、眠れなかったのです。なんだか、うそをついた自分が、かわいそうに思えてきたのでした。(中略)
朝おきたら、お母さんは、もう、なにごともなかったように、わらって「おはよう!」と言ってくれました。その時のうれしさは、とんでもないほどうれしかったです。私は、きのうのことを言わないお母さんを、とてもやさしく思いました。
そして、幼稚園に行ったら、先生が「おはよう。きのうのようなことは、もうぜったいしちゃだめよ」と言って、ゆるしてくれました。その時も、とてもうれしかったです。
私は、そんなお母さんや先生が大好きです。
(『第12回道徳教育研究大会紀要』〈文部科学省委嘱「豊かな心を育む教育事業研究」〉より)

この作文には、うそをついたときの後悔や恐れ・悲しさ、そして許しを得たときの喜びや安心感が素直に表れています。
この体験は、道徳心の一部として、B子さんの心に刻まれることになったのです。

■「外なるモラル」と「内なるモラル」

越智教授は、この作文について「これがまさに『記憶に残る』ということであり、『内なるモラル』の典型である」として、次のように述べています。

――モラルには「外なるモラル」と「内なるモラル」の2つがある。「外なるモラル」とは、自分の外にあるルールにもとづくモラルである。一般的に「他人に危害や迷惑を与えない限り何をしてもよい」と考えられ、たとえ善いことだと分かっていても、自分の損得勘定に見合わなければ、みずからすすんで行うことは少ない。
しかし、もうひとつの「内なるモラル」は、自分の内にある良心にもとづくモラルである。「よりよく生きたい」「自分を高めたい」という精神的な欲求を大切にするため、誰かから言われなくても、積極的に善いと思うことを実行する。もちろん、善悪の判断に葛藤を覚えたりするが、たとえ社会のルールや他人からの指示がなくても、自分で自分を律することができる――

■道徳心を見つめ直し、みずから道徳心を発揮しよう

私たちは、子供のころに親や学校の教師、親戚や知人、地域の大人をとおして、さまざまな場面で、道徳心を心に根づかせてきました。
ところが、やがて社会生活を営むようになると、そうした道徳心を発揮することが面倒になり、ややもすると損をするというふうに考えてしまうのではないでしょうか。
「正直者はバカをみる」このような価値観に基づくかぎり、法律や規則を整備し、職場や学校でルールをたくさん設けても、自分からすすんで行おうとすることはありません。
モラルの実行とは、本来、他から強要されて行うのではなく、自分の心に根づいている道徳心にもとづいて、勇気をもって行動することをいいます。
私たち1人ひとりの力は小さいかもしれませんが、自信を持って、自分の「内なるモラル」、つまり道徳心を、家庭や職場、社会で発揮し続けていくことが、健全で、よりよい社会を築くために非常に大切なことだといえるでしょう。

(『ニューモラル』417号)

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