一隅を照らす ~ 道徳授業で使えるエピソード~

社会を明るく温かい、住みよいものにしていく鍵は、そこで生きる私たち1人ひとりの心がけにあります。それぞれが身近なところで温かい心づかいを発揮し、「一隅」を照らす実践を続けていけば、やがて社会全体が温かい心で満ちていくことでしょう。

今回は、自分自身や周囲の心をともに豊かにして、同じ社会に生きる人と人との絆を結ぶ生き方について考えます。

■雪の日の出来事

ある夜、東京近郊に住む会社員の池田さんが体験した出来事です。
その日は夕方になって、雪が降り始めました。仕事を終えた池田さんが同僚の藤井さんと連れ立って会社の外に出ると、歩道にも車道にもすでに雪が数センチ積もっていました。会社から最寄り駅までは、歩いて15分ほどかかります。上り坂にさしかかったとき、道路の真ん中に1台の車が停まっていました。どうやら坂道を上ろうとしたところ、雪で滑って立ち往生しているようです。見かねた池田さんが「私たちが後ろから押しますので……」と声をかけると、運転席の男性は黙ってうなずきました。
2人で懸命に車を押すと、車はゆっくりと坂道を上りはじめました。そのまま押しながら30メートルほどの坂を上りきり、平らな道に出たそのときです。押していた車が急に速度を上げたため、藤井さんが勢い余って転んでしまいました。
「危ないじゃないか!」
池田さんは声を上げましたが、車はそのまま何事もなかったかのように走り去っていきました。2人は呆気にとられながら、遠ざかっていく車を見送りました。
「なんだか最近、“自分さえよければいい”っていう、自分勝手な人が増えた気がするな」
人助けをしたはずが、後味の悪さだけが残った雪の夜の出来事でした。

■「そこのゴミも拾いましょう」

1週間後、名古屋に出張した池田さんは、仕事を終えて東京行きの新幹線に乗り込みました。車内は空いており、通路を挟んだ座席には、60代ほどの夫婦とその息子らしき3人連れが座っていました。
池田さんの後ろの座席には、幼稚園児ぐらいの女の子が母親と一緒に座っていました。本を読んでいた池田さんは、後ろから聞こえてくるほのぼのとした親子の会話に心を和ませているうちに、やがて眠ってしまいました。
しばらくして、品川駅への到着を知らせる車内放送で目が覚めました。通路の向こう側に座っていた3人連れは、身支度をして降りていくところでした。
東京駅で降りる池田さんも、荷物棚に載せた鞄を取ろうとして立ち上がると、人がいなくなった向かいの座席の様子が目に入りました。座席のポケットには、ペットボトルや紙コップ、ビールの空き缶が入ったまま。床には弁当の空き箱が乱雑に放置されていました。
“お金を払って乗った電車でも、後片付けをして降りるのがマナーじゃないか。こんな勝手なことをされたら、周りで見ているだけでも不愉快だ”
池田さんは憤りを覚えながら座席を離れ、出口へと向かいました。
すると、背後から「そこのゴミも拾って、ゴミ箱に入れましょうね」という、朗らかな女性の声が聞こえてきます。池田さんが振り返ると、後ろの座席に座っていた女の子と母親が、向かいの座席に散乱するゴミを手に取り、自分たちの弁当の空き箱を入れたレジ袋に片付けているところでした。

■他者批判を超えて

自分のゴミを捨てるついでに、近くに落ちているゴミも拾うこと。それはささやかな行為です。ところが、この親子の姿を目にした池田さんは“自分勝手な人も多い世の中に、こんな人がいるのか”と、大きく心を動かされました。そして、放置されたゴミに眉をひそめるだけで何の行動も起こさなかった自分が恥ずかしく思えてきました。車内を汚した人と、それを非難することでみずからの心を汚した自分。その差はあまりないようにも感じられたのです。

やがて、あの雪の日の出来事が心によみがえってきました。
“自分の助けに感謝の気持ちを表してくれなかった相手を心の中で責めたけれど、相手が無事に坂道を上れたことを喜べばよかったのかもしれない。人助けをしたつもりなのに怒ってしまったら、せっかくの善意も台無しじゃないか”そんな考えもわき起こってくるのでした。

社会の中で、自分勝手のように思える他人の言動を見聞きしたとき、私たちはどのように思うでしょうか。“こんなことでは世も末……”と嘆かわしく思ったり、怒りに任せて相手を批判したり、言うべき言葉を失ってただあきれたりすることもあるかもしれません。しかし、嘆いているだけでは世の中はよくなりませんし、感情のままに相手とぶつかっては、周囲にますます波紋が広がってしまうことでしょう。
私たちがよりよい人生を築くためには、自分をとりまく社会もまた、よりよいものになっていく必要があります。そのためには、まずみずからが発信源となり、温かい心をもって周囲に相対していくことが大切です。たとえ1人ひとりの力の及ぶ範囲には限りがあっても、また、その行為の1つひとつがどんなにささやかであっても、その積み重ねこそが自分や周囲の人々の心を豊かにしていくのではないでしょうか。

■一隅を照らす生き方

東洋思想の研究と後進の育成に努めた安岡正篤氏(1898~1983)は、次のような言葉を残しています。
「暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照す一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう」
(『安岡正篤一日一言』致知出版社)

社会の現状を嘆くのではなく、自分自身が温かい心づかいを発揮して、自分の身近な「一隅」を照らす存在になること。これを1人ひとり、より多くの人々が実践すれば、無数の小さな光は世の中を明るく照らす大きな力となります。

(『ニューモラル』499号より)

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