人のためは自分のため ~ 道徳授業で使えるエピソード~

■元気にあいさつ“おはようおじさん”

猪又さん(78歳)は、近くの小学校の子供たちから“おはようおじさん”と呼ばれて慕われています。子供たちが登校する朝、雨の日も風の日も校門に立って、
「おはようございます!」
と、にこやかな顔で子供たちに声をかけます。
子供たちは元気な声であいさつを返して校門に入っていきます。中には、猪又さんにすっと近づき、さっと握手していく子もいれば、何かそっと耳打ちしていく子もいます。おじいちゃんと孫がむつみ合う姿に似て、ほほえましい光景です。

■あいさつで反感が消える

猪又さんが“おはようおじさん”になったのは68歳のときです。定年後に勤めた会社を退職し、「これからはお返しの人生!自分にできることで人さまのお役に立ちたい」と、ボランティア活動の情報を集めていました。そんなときに、心の生涯学習誌『れいろう』で、香川県の大井さん(当時64歳)の記事に出会います。
その記事には、おおよそ次のように書かれていました。
――大井さんは心づかいを大切にするモラルのあり方を知り、自分の心づかいをよい方向に変えようと思った。そのためにできることは何かを考えていると、病気がちで寝てばかりいる父親の顔が浮かんだ。大井さんは、そんな父親に反感を持ち、親孝行どころか、あいさつ1つしていなかったことに気づいた。そこで、まずは親にあいさつをすることから始めよう、と思った。
翌朝、大井さんは父親にあいさつをしようとしたが、父親の顔を見たとたん、言葉がのどにひっかかって言えない。それでも、崖から飛び降りるような気持ちで、「おはようございます」と言った。その瞬間、心はすーっと軽くなり、今までの反感は消えていった。父親の病気は日増しに悪くなっていったが、大井さんは素直な気持ちで看病することができた。
あるとき、大井さんは父親を抱いて手洗いへ連れていった。そして、部屋に戻ってきたとき、父親が自分に向かって手を合わせている姿に気づいた。
“親に手を合わされるなんて……。心づかいを変えてあいさつを実行したおかげだ。これからも生涯、心づかいをよりよくしていく勉強を続けて、父のように、子供に手を合わせられる人間になろう”と誓った。父親は亡くなったが、この思い出は大井さんの心から消えることはなかった――

■あいさつの輪が広がることを願って

――大井さんは、ある講演会で「小学校の前に立ち、小学生にあいさつを続けたところ、子供たちがあいさつをするようになり、町全体の雰囲気がよくなった」という話を聞いた。(中略)そして、自分もやってみようと思い、近くの小学校を訪ね、校長に胸の内を話した。校長は「それはいいことですね。無理のないところで、ぜひやってみてください」と賛成してくれた。
翌朝、通学路に立った大井さんは、“あいさつなんて簡単だ”と思っていたが、孫と同じくらいの子供たちに頭を下げることに抵抗を感じた。そのとき、父親に初めて「おはようございます」と言った30年前のことが頭に浮かんだ。
“恥ずかしかったが、あいさつしてみればさわやかになれた。今、抵抗を感じているのは、子供たちを見下す心がどこかにあるからではないか。父は昔、子の私に手を合わせてくれた。そういう人間になりたいと思った。そうだ、私も子供たち1人ひとりの幸せを祈ってあいさつをしよう”と思い直した。
大井さんは思い切って子供に頭を下げ、「おはようございます」と声を出した。あいさつを返す子供は3人に1人ぐらいだった。それでも大井さんは毎日通学路に立ち、祈りを込めてあいさつを続けた。やがてほとんどの子があいさつをするようになった。
大井さんは語る。
「毎日、子供たちの笑顔を見るのが楽しみです。子供たちに会うと、生き生きしてきます。あいさつの輪がどんどん広がっていくことを願って、私は死ぬまであいさつを続けていきたい」と――

■子供たちの反応がうれしくて

大井さんの記事を読んで、“これなら自分にもできるなあ”と猪又さんは思いました。そして、早速、自宅から歩いて15分ほどの小学校を訪ね、当時の校長に頼み、校門の前に立つことになりました。
「おはようございます、と声をかけますと、子供たちの反応がすごかったんですよ。ほとんどの子供たちが、大きな声で気持ちよくあいさつを返してくれました。おそらく、その前日に校長先生が朝礼で、クラスの先生方が教室で、あしたからこういうおじさんが校門に立つからと話してくださったんだろうと思います。1日やったらうれしくなって、いい気分で家路につきました。そのとき感じたうれしさが、10年目に入った今も休まないで続けていられる最大の原動力です」

■ボランティア活動は自分のため

猪又さんは、毎朝7時25分に家を出ます。8時前後になると、校門前の道の左右から子供たちの集団が近づいてきます。
「エネルギーのかたまりがうわーっと押し寄せてくる感じです。私は、そのすごいエネルギーをもらっているんですね。毎朝たいへんですね、と言われる方もいますが、苦になるどころか、身も心も喜びでいっぱいです」
猪又さんは、生来、内向的で引っ込み思案だそうですが、最近は少しずつ外向的になっている自分を感じるといいます。朝の声かけ運動が、性格を明るいものに変え、健康にも役立っています。
「ボランティア活動というと、“他人のために何かをしてあげること”という認識が一般的ですが、本来はそんなお仕着せがましいものではありません。ボランティアというのは、最終的には“人のため”ではなくて、“自分のため”のものだと思います。毎朝、子供たちからもらう無限のエネルギーのおかげで、心はいつも晴れやかですし、体も健康です。どんなことをしても、必ず自分に返ってくるものがあるんですね」
自分のできることで人の役に立つ――それが生きがいの源泉となります。人の役に立つことは、何より自分の役に立つのです。

(『ニューモラル』388号より)

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