「正しいこと」にご用心 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは「正しいこと」を言ったり、「正しいこと」を行おうとしているのに、いつの間にか周囲に不安を与えたり、疎まれたりしていることはありませんか。
今回は、身近な生活における「正しいこと」の大切さと落とし穴について考えてみましょう。

■通路に停められた車

ある日曜日、中田幸司さんは妻の陽子さんと娘の美紀ちゃんの3人で、地元でも安いと評判のスーパーに車で買い物に行きました。あまりの混雑に、駐車場の通路に停めている車もあります。幸司さんは、その中の1台の車に目が留まりました。通路わきには、「駐車はご遠慮ください」と書かれた立て看板が立っています。
「無神経だなぁ。こんなところに停めたら迷惑になるじゃないか」
そうつぶやきながら、駐車場に車を停め、3人でスーパーの中に入りました。ところが、買い物をしていても、先ほどの車が気になってしかたがありません。
「さっきの車、見たかい? あれじゃあ迷惑だよね」
「私は気がつかなかったけれど……。最近そういう車をよく見かけるわよ。この間なんか、どう見ても健康そうな家族連れが障害者用の駐車スペースに停めて、平然と買い物していたわよ。自分が楽をできるなら、周りのことなんかお構いなしよね」
幸司さんはそれを聞いて、ますます語気が荒くなっていきます。
「最低限のルールやマナーぐらい守ってほしいよな。今度見かけたら、僕が注意してやる!」

■正しくても悪者に?!

買い物を終え、車を出口へと進ませると、進行方向で数台の車が立ち往生しています。見ると、先ほどのマナー違反の車がまだ停まっていて、通路を狭くしているせいで、なかなか車が通れないのです。
「ほら、見たことか。まったく、迷惑千万だっ!」
幸司さんは、通路に停めたドライバーの無神経さに、無性に腹が立ってきました。イライラした気持ちのまま、車を走らせる幸司さん。普段は安全運転なのに、だんだんと運転が荒くなっていきました。スピードも出すぎています。たまりかねた陽子さんは言いました。
「ちょっとあなた、いい加減にして! あの車のせいで気分が悪いのは分かるけど、事故を起こしたら元も子もないでしょ!」
幸司さんは、陽子さんの言葉にハッと我に返りました。助手席に乗っていた美紀ちゃんも「お父さんの運転、怖い」と顔をこわばらせています。
「ごめんな。ついイライラしてしまって……」
そう言うと、幸司さんは気を取り直して家まで車を走らせました。道中、落ち着いてきた幸司さんは思いました。
“あれ? いつのまにか僕が悪者になっているじゃないか。悪いのはあの車なのに……”

■「正しいこと」もいいけれど

自宅に到着すると、幸司さんはあらためて陽子さんに謝りました。
「さっきはすまなかった。無性に腹が立ってきてね。僕は昔から正義感が強すぎるところがあって……。“自分は正しい”って思っていると、ついつい威勢がよくなってしまうんだよね」
「その気持ちも分かるわ。でも、あの車の運転手にも何か事情があったかもしれないわよ。実はね、この前の夕方、ゴミ収集日以外にゴミを出している人がいて、『今日はゴミの日じゃないですよ!』って声をかけたら、『そんなの分かってます。明日の朝は早くに出かけるんです!』って言われちゃって……。確かに、ルールだから守ることが大切だけど、相手の事情や状況にも配慮してあげることも大切かなと思ったの。それに私の言い方が悪くて、少し気分を害したのかもしれないわ。今度会ったら謝ろうと思っているの」
「そうか。陽子にもそんなことがあったんだ……」

■思いやりを添えて

私たちが円滑な社会生活を送るためには、最低限のマナーやルールを守るという「正しいこと」はきわめて大切なことです。また、法律違反や著しい不正に対しては、それなりの仕方で対処しなければ、社会の秩序が保てなくなります。
一方、家庭や職場、地域などの身近な生活の場では、いくら正しいことであっても、それを振りかざして相手や周囲を非難ばかりしていては、決して良好な人間関係は築けないでしょう。お互いの正義感のぶつかり合いが、人間関係の亀裂や不和の原因となっていることがたくさんあります。自分は正しいと思っているにもかかわらず、周りから疎んじられ、孤立するということがあれば、それは本当の意味で道徳の実行とはいえないのかもしれません。
では「正しいこと」が道徳、つまり「よいこと」になるには、どう考えたらよいのでしょうか。それは自分、相手、周囲にとって良好な関係を築くための方法と心づかいに知恵を絞ることではないでしょうか。

■相手の立場に立つ

青森県に住む木村さんは、37年間、地元の小・中学生の通学路で交通指導を続けています。通勤ラッシュで車の通りが多くなる時間に、信号のない交差点に立って、子供たちが安全に通学できるように尽力しています。木村さんはこう語ります。
「始めた当時はピーッと笛を鳴らして車を止めたんですが、今は吹かないんです。自分が笛を吹かれたならビックリしますし、先を急いでいるならイライラもするでしょう。無理に止めたらドライバーは気があせって、他の場所で事故を起こしてしまうかもしれません。そのことに気づいてからは、まず車を通してから、次に子供たちを渡すんですよ」
子供たちを安全に渡すという自分の役割(正義)を貫き通すだけなら、交通ルールのうえからも、車を止めることが正しいでしょう。しかし、木村さんは自分の正義を行うだけではなく、職場への道を急ぐドライバーの立場に立って、その心理状態などにも配慮して、車をスムーズに交差点を通過させ、その後に子供たちを渡すという思いやりを添えた交通指導を心がけています。
そのように毎日笑顔でドライバーに接する木村さんの対応に、ドライバーにも変化が現れました。木村さんの姿を確認すると、自然と停車するドライバー、「待たせてすみません」と頭を下げる木村さんに「お互い様ですから」とお辞儀で返してくれるドライバーが増えてきているそうです。
「危ない交差点だったはずが、いつの間にか笑顔があふれる交差点になってきました。花咲か爺さんのように、ドライバーにも子供たちにも、笑顔の花を咲かせたいんです」と木村さん。
「ドライバーの皆さんが、歩行者やほかのドライバーを自分の家族のように思いやれば、事故はきっとなくなるはずです」

「正しいこと」も、木村さんのように、相手を自分や身近な人に置き換えて考えてみれば、思いやりの心が自然とわいてくるのではないでしょうか。
ルールを守らない子供がわが子だったら……、わがままを言うお年寄りが自分の祖父母だったら……、もし自分が相手の立場だったら……。そう考えれば、正しいことを相手に伝えるときにも、思いやりの心を添えて行動できるのではないでしょうか。
私たち1人ひとりも、そうした春風のように温かな人柄をつくっていきたいものです。

(『ニューモラル』455号より)

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